御神酒

会話の中で( )(かっこ)まで話すことは、会話の方向をキメすぎてしまう。

下手ウマ概念を持ち込んでいるわけでなく、会話と思考の、木のミキ(表層部分)を太くしている、のだと思う。

 

( )とは、自分の気持ち、こう話そう、話をこう持っていこう、これだけは言いたいぞ、と自分が話す前に思っていること、身構えていること。

人には見えない部分、木の根っこの部分だ。

その部分を話の要所要所にチラ見せし、忍ばせることで、意識的にせよ無意識的にせよ話の方向性は決定されていく。

僕は根っこの話ばかりを好む、人差し指ほどの太さの根っこ(会話)、手首ほどの太さの根っこ(会話)。

いつまでたってもミキには触れない、根っこの話。

展示に行ってこんなことを思った。本のここがつまらなくてあそこがおもしろかった、晴れの日が続いていて最近はまぶしい、その方向性のない、まとまりのない話「なにを言っているんだ?」と思うよな話、根っこを扇状に広げていく。

 そうすると、太いミキが見えてきませんか。

見えてきませんか。見えてきませんか。

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ねっこ、ってのは、いろんな話、いろんな要因

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を加味して、方向性やゴール、ミキの話をしていくのが、普通の会話だと思うの。

 

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(頑張って書いたのに消えちゃった。 紙とインクだと、書いたり消したりがパッとできないから、ふたつの事柄を、思いついたことを同時進行で書いたりしてるんだけど、ノートだと2ページ使わなきゃいけないところを、iPhone上だと改行すれば済むから、しかも書き換え可能で楽チン。どんどん思考がまとまって、繋がっていく。でもボタンひとつで消えてしまうんだからざまあない。スッキリした頭がひとつ残っただけです。)

 

ねっこの話ばかりする根底には、"いいたいことなんて始めっからなんにもなかったんじゃないかな?"って思いがあって、生まれてからほんとにいいたいことなんて「オギャー!」くらいのもんで、あとのことなんてぜんぶ後付けでしょうに、と思っている。

 フラカンの歌詞からいただいてる考えだと思って検索してみたらすこし違った。

"やりたいことなんて始めっからなんにもなかったんじゃないかな?"(フラワーカンパニーズ/人間の爆発)

でした。

 

いいたいことなんて始めっからなかったとしたら?

やりたいことなんて始めっからなかったとしたら?

 

ねっこは栄養なんです。

テレビやネットニュース、Twitterの情報がそのまま(自分の!!)意見になっている人がたまにいるけど危なっかしいなあと思う。青信号をドヤ顔で渡るタイプの人間だ。🕴💥🚗

いらないもの箱に入れた(取捨選択した)情報を教えてくれても「あへはほ」としか言えない。

ねっこの話>ミキの話>ねこじゃらしトーク

右から横に話されてもちんぷんかんぷんなんです。根も葉もない話(ねこじゃらトーク)をされても、霞食う仙人なんです。

オギャーです。素直にオギャーと言えばいいのに。

 

この木なんの木精神なくしていませんか?

 

簡単にゴールや結果や未来を見据えて、決めつけてしまえば、名付けてしまえば、その木はクヌギだし、コナラになりますよ。もっと泥(エゴ)にまみれたらいい。わたあめみたいにバラを舐めたらいい。土を掘って泥んこになって足掻いて苦しくなってのたうちまわって悲しくなって疲れてそれでもねっこしかなくてぐしゃぐしゃになってつぶれて寝っ転がってみたら、目の前に名前も知らない木があって見たこともない花が咲いてたらそれはもう最高じゃないですか。