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自由休憩が突然だったため引き出しに本を忘れた、相変わらず判断の本。

実際に誰かと話していると、自分の話はとっちらかることが多いが、それは( )の中を話していないからだと思う。

自分の気持ちを、ことばに、装飾しすぎると、それを受け取った人のイマジン(想像力)が発揮されないだろうから。と、いう斜に構えた無思慮(上から目線)のおかげで、"ほんとうは"つじつまが合っているのに、全く別々の話に思えてしまう。これの最高にファニーな点(バカで可愛らしいところ)は、話してる僕自身も聞いてるいる人も、もはやちんぷんかんぷんなところにある。

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(ちんぷんかんぷん中のお互いの心象風景)

 

過去と未来の断絶なのか、最近会話のながれを忘れる。あれ、なんでこんな話になったんだっけ?なにがどうなって、こんな結論に至ったんだ?

お酒を飲んだときに、どんなことを話しているのかも覚えていない。

成果なのか退化なのか定かではない。

原因は雑穀米生活にあると思う。

 

ここ数ヶ月で、お酒を飲むのは"多くて"週に一回、肉食は"誰か"と外食するときにほぼ限られている。

それ以外の日の2〜3食は、雑穀米とみそ汁、それか食パンとマーガリン、たまごひとつと豆乳。積極的にお肉(牛豚馬羊魚問わず)を食べたいと思わなくなった、のかもしれないし、"食べたいと思う人の気持ちがわからなくなった"のかもしれない。

 

ただ身体はすごくナチュラルなのだ。常に30パーセントを維持している。

たとえば、カッとすることがなくなった。正確には身体がカッとする心に伴わなくなった。

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また消えてしまいました。

画像処理中に、更新するとどうにかなってしまうみたいで、どうにも、後ろの席でも発狂の話をしているので、発狂しそうです。

 

心ゲージと身体ゲージがあります。

それぞれ常に何かを感じ(感覚して)波打っています。

 

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心がダウンしてしまうと、身体のあちこちにも不快な症状がたくさん起こります。心の不快を身体でも感覚してしまうのです。心がグワッとなれば、身体もグワッとなるし、心がザワッとなれば身体もザワッとなる 、僕はこれを、心の感度が高い状態(良い状態)だと思っていました。が、どうやら違うかもしれない。

これは"心に身体が伴っている"だけなのかもしれない。

 

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 心も身体もあひるの赤ちゃんみたいにピュアーで素直な奴で、何かが起これば反応してしまうし、感覚してしまう。下振れしようと上振れしようとそれに伴うしかない、ついていってしまう。心も身体も、2人ともあひるの赤ちゃんなのに。(👶)それはただの身勝手だと思えて仕方がない。だから、どちらかのあひるの赤ちゃんをあひる少年にしなければならない(大人になること👨?)と思ったか、思ってないか、雑穀米生活は、そんな試み、実験なのだと思います。

 

グワッともザワッとも、感度が高いわけでも、感性(センス)が鋭いわけでもなく、ただ"心に身体は伴う"ということが"起こっているだけ"。もちろん意図的にも意図せずとも不意打ち裏拳的にも、起こすことも起こることもありますが、結果は"当然のもの"であると理解すべきです。(それによって生まれた作品は"特別な"ものではない。)

 

けれど、心と身体が伴ったときの、上振れ下振れのあがあが感(足掻いたり悶えたり)。自分に対する身勝手も人に対する身勝手も狂しいほどに人間らしい。エゴの放つ匂いに身体は動じずとも、心は誘われずにはいられない。それを特別だというのは醜いエゴだけれど、それ自体は素晴らしいなエゴだと思う。

 

心ゲージはあいかわらず、下振れ下振れ上振れを繰り返しているけれど、身体ゲージはだいたいいつも30%を維持している。あまり心に伴わなくなった。それがいいことなのか、わるいことなのかはまだわからないけれど、ほんの少しの嬉しさもありつつどこかよそよそしさを感じている。テレフォンショッキングで森田一義の隣に座っている感覚。何を言っても(感覚しても)「そーですね。」とかえされてしまう感じ。

だから心がすこしさみしがっています。

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