Sade - Is It A Crime

 

バン↑ド↓マンはバレンタインやクリスマスなどイベントがある日にはスタジオに入らなければならない悲しい生き物である。

そのことをそれとなくSNSに投稿しなければならない。お自然(ネイチャー)様は隔離され世間様とは蜜月の関係をされ、また本人もそれを欲する(好きに)ならざるを得ない。(環境に置かれる、飛び込んでいく)

 

 人を好きになればなるほど、世間、生活に近づいて(接近)していく。それは避けられないことのように思えるので、"世間様"という認識、世間ということばを変えなければ(革命しなければ)ならない。

東京という、街単位では"病気"(人と違う)ことは許されているが(いるくせに)、そこにひとたび人が立ち現れると、人間(個人)が出現すると、それ(世間様との関係)を強制されてしまう。身体全体でなくとも、四肢のいずれかを。

 

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お酒のせいで(なくとも)支離滅裂だ。

最近確かになったことの一つに、お酒を3杯飲むと記憶(話していた内容)が飛ぶ(なくなる)ということだ。

困ったよりも、なさけなさが先立つ。今後は2杯以上お酒を飲まないようにと心に誓った。

 

一瞬に生きる瞬間を学べば、一瞬を何度も追体験する必要はなくなる。

逆説というよりも真説的(!)というべきなのかもしれない。すべての瞬間は"切り離された一連の動き"であり、どの瞬間も"軌道修正可能な機会"である。追体験をしている瞬間、嫌なこと(良いこと)を思い出している一瞬さえも、実は修正可能な機会である、のだ。そのことを知らないかぎり、"追体験"することしかできない。常々、自分が思っている、考えていること以上の、以外の、選択肢が"存在している"可能性に"気づいて"いるべきだ。

 

醤油をかけるかいなか、レモンを絞るか絞らないか常に、個はことあるごとに世間にさらされてきた、からこそ、個は進化し、分裂することを選んだ。いまあなたの中には、世間様のおかげで2つの個が存在しています。それを再統合するのは誰?人間の内側は三国志時代となんら変わらない。つねに、慌てふためき暴れYESorNOの二者択一を外の私に迫り続けているくせにときたま(とき卵)平和で平静(そうそう無いが)だ。襖の向こうにはまだ見ぬ自分が鎮座しているのに、それを知らないことかのように、「今はこの部屋(二者択一を迫る内なる自分)の問題で手一杯なんだ!」と叫んでいる。はたからみてもそれはその通りだ。(はたからみても!!)はたってどこ?ほんとうは自分曹操に「ならばよし。」といってほしいのに、どうしても他人曹操に「ならばよし。」と"いってほしい"。誰かにいってもらったほうがたやすいから、信じやすいから、そこまで気づいているくせに、"信じやすい"のは誰?心の中で言い争ってる自分?二者択一を迫る2人?はた?他人?曹操?世間様?SNS?'信じる"のは?襖の奥にずっと座っているのは誰?

 

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いつか、ではなく今年中に「友達みんなに君のことを話すよ」と言われる人になりたい。僕の周りにはそんな友人が何人かいる。話したくなるような本も何冊か知ってる。行くと楽しい(であろう)場所を何ヶ所か知っている。わしはjoyの寄せ鍋か。joyそのものになりたいんじゃ。"なんとなく違う"という感覚を5年以上持ち続けている人を俺は信じる。それは同じことをずっと、でもいいし、違うことを、でもいい、絶え間ない、途絶えない、疑問、を抱いてる、環境問題だ、政治のことだ、世界情勢だ、紛争だ、貧困だ、疑問そのこと自体は、重要じゃなくて、あれ、わたし普通の人が考えてないことを考えているかもな、わたしちょっと変かもな、そのことに気づき続けていることが、信じるに値する。