口ロロ×the band apart - 板橋のジョンメイヤー

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身体的おかず感覚がない。どこもかしこも(どこもかしこも駐車場/森山直太朗)、どれもこれもメインに見える、見ている、おかず博愛主義だ、逆説的にいえば全てが"なにかの"おかずだ、(ぼくは)おかずの存在しない世界に生きている、(もちろんこれはおかず存在の否定ではない、猫には赤色が見えないが、赤色がこの世に存在しないわけではない)

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どの食材をとっても、「"たった"これだけか」と、なる感覚がない、足るを知りつづけている、(お盆という)全体を見ながら、(一品という)局所を見つづけることができる、いや、全体を知りながら全体を排除してしまう(悪)癖だ。

仏教の目指すところは自己(私)と非自己(彼、それ)の隔たりが"幻想"であると理解、わかる、ことだ、(と思う。)けれど他人に尽くせば尽くすほど、他人の為に動けば動くほど、他人の自己(エゴ)がよく見えるのは、"他人"に侵入している、結果、なのか、それとも私が、私の自己(エゴ)が大きすぎるからか、汚れているから、そのどちらともか、どちらでもないのか、これさえも、これ、この気持ちの働き、体験、閃き(快)と不快の慟哭を、告げるのに、伝えるのに、ことば(!)、話し言葉を使わなければ、働きと慟哭は、忘れ去れるか、私の、身体の、または心にしまわれたまま、どこにもゆかない、じっとしている、話し言葉を話すたびに、どこからともなく、しまっちゃうおじさんがやってきて、常に"なにかが"私にとどまっている。

 

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人にとって自分以外の他人は"ためらい"か、なにかを決断するための、ためらいなのか、脳の本を読み終わる、2年後にまた読むことになるだろう、頭に入ってこなかった、シチューを作りたい、頭の内側がミミズ腫れのようにズクズクとする、ちょうど耳のてっぺんからカチューシャを反対の耳に渡した範囲が、むず痒く痛む、帰ったらお米を炊きたい、ゆっくりとご飯を食べたい、気づけば日々の仕事に追われている、こなしてしまえばしまうほどに日々はせまってくる、なら、こなさなければ、日々はせまってこない、それはただの堕落じゃないか、向かって、立ち向かっていかなければ、とりあえず仕事はする、とりあえず(!)、叶う叶わぬは別(三文銭/MOROHA)アメリカの詩人の本を読む、ちょっとでも得意なほうへ、できることができることの方へ進みがちなので、なんとなく、うやむやと、もやもやとしている方へ進もうと思った、その道すがらの苺をもぎながら、(いやこれはまた、自分の得意なことか)もいだりもがなかったり、うやむやでもやもやの道なのだから、目を凝らして歩かねばと思う。(クリオネの文字を見たときに口の中にスモークサーモンの味が広がった。)