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千の眼 / 田村隆一

 

八十八歳であの世に帰って行ったヘンリイ・ミラーは

その晩年にこんなことを云ってたっけ—

「ぼくの第一天国は母の子宮にあるときだった。永遠にそこにいようと戦ったけれど、けっきょく鉗子にはかなわなかった。」

子宮のなかで羊水にプカプカ浮かびながら

盲目で遊んでいた人間の子には

ヒエラルキーはなかった

せいぜい母胎の営養だけがちがうくらいだが

これだって目くじら立てるほどの差別にはならない

ぼくはミラー氏のように鉗子のお世話にはならなかったそうだが

この世に投げ出された瞬間

産ぶ声をあげなかったから

産婆さんがぼくの両足をにぎって振りまわしたという話を

母から聞いた

産ぶ声

というといかにも景気が良さそうだが

あれはこの世に生まれた悲しみの第一声にちがいない

産婆さんにさかさまに振りまわされたおかげで

ぼくはこの世をさかさまに見る癖がついてしまったのかもしれない

松尾芭蕉西脇順三郎

詩人になるためには乞食にならなければならないと本気に考え

日夜研鑽したヒーローだった

乞食になるために彼らがどれほど苦労したか分からなかったというエピソードを読むと

乞食が詩人になれるわけがないことがよく分かる

芭蕉も順三郎も

乞食に生まれなかったものだからじつに可哀相である

芭蕉も桃青時代のように下級武士だったらよかったのに

順三郎は地方銀行家になるべきだった

彼らを詩に駆りたてて

乞食願望をうえつけたのは

一ヵ月もしないうちに

目が見えるようになってしまったからだ

ミラー氏は子宮の天国とこの世の天国とを説いてぼくらを慰めてくれる—

「子宮時代は素晴らしかった。とても忘れられるものじゃない。ぼくの欲しいものは、

ほとんどすべて備わっていた—友だちを除いては。どんなに心地よく憂いなしとしても、

友だちのいない人生なんて人生じゃない。

子宮の天国と友情の天国との相違は、子宮のなかではひとは盲目だということである。

友だちはきみに、インダラの女神のように、

千の眼を与えてくれる。

友だちを通して、無数の人生を経験する。

違った次元をみる。

さかさまに、

また、

裏側から、

人の世を生きる。

きみの友だちの最後の一人がこの地上から消え失せたとしても、

きみは現に独りではないし、将来とも決して独りとはならないだろう。」

ミラー氏の盲目の生に千の眼を与えてくれたニューヨークのブルックリン横丁の友だち

芭蕉の盲目の生に千の眼を与えてくれた唐・宋の詩人たち

順三郎の盲目の生に千の眼を与えてくれた古代的歓喜と近代的憂鬱の造形者たち

 

ぼくは

乞食に生まれてほんとによかった

乞食になるために知的努力をしなくてすんだのだから

ぼくの盲目の生に千の眼を与えてくれたものは

東京府北豊島郡巣鴨村字平松の

雑木林と細い川と鉄道院の貨物列車が通過するたびに

ガタゴト振動する土手下の竹藪のお化けが出そうな生家か

 

ぼくの千の眼が見たものが

八十年ももたなかった帝国の崩壊と

都市化現象という田舎と

ロリータ・コンプレックスの青年の共同幻想

「黄昏」だけが世界一長くなった長寿国では

とても詩にはならないよ

赤字国債を消化するためにどんな悪性インフレが襲ってこようと

ぼくは長い長い黄昏の乞食にはならないからね

白夜の詩を書く時間があったら

インフレ・ヘッジを考えておくこと

乞食には

もう倦きたよ

バイバイ

偽悪の読者諸君!

夜のビールの飲み友だちよ!