直太朗と世相

 

森山直太朗の新しいアルバム『822』はジャケットもさることながら一曲目の群青から通しで聴き入ってしまうほど完成された2018年個人的マストなアルバムだ。

 

ぼかあ、評価されるすべての芸術(アート)は歴史芸術である。(という持論を持っている。)のだが、全ては人間の行なってきた歴史、文脈、コンテクストで評価される。音楽であれ絵画であれ俳句であれ、そのジャンル、の、文脈を理解し(または理解せずに)未来を見据えている(または未来の文脈を捉えている)(その眼を持っている者をアーティストと呼ぶのだろう)ものが芸術なんだと思う。

その芸術のライン、芸術の世界線と日常の世界線は0.000001%だけズレている。アーティストの生きる世界線と、パンピが生きてる世界線はほんの少しだけ違うとボカァ考える。

日常の世界線を俯瞰して見れる世界線があるのだ。

 

その世界線に辿り着くにはある種のしがらみから逃れる、というか達観するというか、ジョブズ的に言えば、なにかをするではなく、なにかを"しない"という選択(シュタインズゲートの選択)をしなければアトラクタフィールドの収束の犠牲になってしまう、ルーチンする日常の世界線

フォーク界のピカソである森山直太朗のアルバム『822』はシュタインズゲート世界線のアルバムであることは間違いない。

 

記憶に新しいRADWIMPSの『なんでもないや』から続く、直接性、触れることの希薄さ、肌と肌が触れ合うことを求めている、希求している、2018年式現代人の身体的感覚を一曲目の『群青』が完璧に再現、表現している。

 

2人の間を通り過ぎた風から、あれだけ沢山のことを思っている考えている感じている、感性を持ちながら僕らのいきつく答えは

 

"なんでもないや やっぱりなんでもないや"

(この後に"今すぐ行くよ"がつづくのだが)

なんだという衝撃。いや、マジで君の名は。

 

『群青』で繰り返される、

"あのね あのさ"

『なんでもないや』より身体的に近づいてはいるが(この後には結局"Hey Siri"がつづく!)いいあぐねる、気持ちを伝えきれない、ことばにしきれない、小田和正的コンテクスト!!ことばにできないわけではないが、世の男は心の中の小田和正を殺せ!!

 

仏の道で仏に出会ったら仏を殺せと爆発くん(太陽の塔おじさん・岡本太郎)は仰ったが。

 

去年(?)作ったbgnvlaにも"ねえ なんでもないよ"という歌詞を登場させたのは、そのコンテクストを感じたからなのだが、N太郎によって文脈が浮き彫りになった。

岡村靖幸が、"電話なんかやめてさ六本木で会おうよ"と具体を直接呼びかけるのに対して、現代のあのねあのさ、という抽象的な呼びかけ、具体から具体ではなく、具体から抽象へ、ワシらはLCLの海に浸かっているつもりか。

 

『わかりあえないことから』(平田オリザ)ではないが、他者対他者でなく、その"わかりあえないことから"ということばを今一度自分にぶつけてみるべきだ、誰かではなくいいあぐねた自分の心にあのね、あのさと"呼びかけて"やり、今すぐ会いにいってやるべきだとボカァ思ったんす。